2015年9月19日土曜日

旅のススメ

私がまだ小学生とか中学生の頃
私の周りには、
小田実の「何でも見てやろう」に触発されて
若いときにバックパッカーをやった大人たちが
たくさんいた。


私は同年代の友人と話すよりも
インドやらシベリアやら東南アジアやら
中南米やらを
バックパックで周った人たちから
話を聞く方が面白くて

いつも、失敗談やら武勇伝やらを聞いていた。


いわゆる、沢木耕太郎の「深夜特急」の世界。


そして、
いつか私も・・・・と思いを馳せていた。



最初に私がバックパッカーとして一人旅をしたのは16歳の時。
北海道周遊だった。


年齢バレルけど
当時はまだ国鉄で青函連絡船時代。


上野から夜行列車にのり、
青函連絡船に乗り換え、
再び、汽車で函館に向かう。。。


明け方に函館につき、
朝市で海鮮丼を食べ、
ここが北海道か~と感動したのを覚えている。



今みたいにネットはないから
時刻表とガイドブックを持ち歩いて、
いろんなところを訪ね歩いた。


神威岬、小樽、札幌、富良野、
襟裳岬、旭川、釧路、摩周湖に阿寒湖。
野付半島、知床半島、
礼文島に利尻島・・・


翌年に心臓の手術を控え
もしかしたら、人生が終わってしまうかもと思っていた私は
高校生としてできる限りのことを楽しんだ。


結果的に、手術はうまくいき、
私はこれまでの体とは全く違う
健康体を手に入れた。


そして、これなら、世界に行かれる♪と
密にバックパッカーを目指していた。


最初に海外でバックパッカーをしたのは、21歳のとき。


その前年、
20歳の時に
東大のアンデス調査団(当時の団長:大貫良夫先生)といっしょに
ペルーに行き、
クントゥール・ワシという遺跡の発掘に加わったのだが
一人で自由に旅行する時間が取れなかったため
翌年、一人で出かけて行ったのだった。


当時、リマへの往復チケットは30万円ぐらいして
バックパッカーのお財布には厳しかったが
私は小さいころからペルーへのこだわりが強かったので
リマへ直行した。


バックパッカーとはいっても、
大学の休みの都合で
この時は、2か月しか滞在出来ず
廻った国も、
ペルーとボリビアだけだったのだが。。。


それに加え、この当時、
外務省から渡航自粛令が出るほど
ペルーのテロリズム(センデーロ・ルミノッソ)が緊迫化していたこともあり
女性一人でいろんなところに出かけていくのは
ちょっとばかり危険だった。


当時大統領になったばかりのフジモリ氏
テロ対策を必死にやった結果、
ペルーはあの頃とは全く違う国になったと思う。


フジモリ批判はいろいろあると思うけど
私は、彼のおかげで
大変化を遂げたペルーを見ているので
これまでの中では、非常に優れた大統領だったと思う。


で、話はそれたが
そのあと、本格的にバックパッカーをしたのは
25歳になってから。


最初にメキシコに来て、トゥルムに感動したのは
その時のこと。


当時、メキシコペソ暴落した直後だったので
メキシコの物価は信じられないほど安かった。

で、安かったとはいえ
私は完全に計算を間違えて現金を持参していて
よくよく考えると、
ホテル代も、遺跡の見学代金も、移動代も、全部入れて
一日に1000円ぐらいしか使えない計算だった。



だから一日300円とか500円ぐらいの宿に泊まり、
100円とか50円とかの定食やランチを食べて過ごす日々。。。


メキシコの有名なレストランなんて、
行きもしなかった。笑


当たり前だが
当時はインターネットなどというものは存在せず
私たちの情報源は
地球の歩き方か、当時英語版しかなかった
ロンリープラネットだった。


日本でロンリープラネットなど手に入るはずもなく
(丸善で買えたけど高かった)

メキシコに来てから
バックパッカー宿に誰かが置いて行った本を
むさぼるように読んでは
情報を得ていた。


あるいは、宿で一緒になった
バックパッカーたちに
いろんな話を聞いていた。


私は文化人類学を専攻していた関係で
遺跡を巡ることを目的に
バックパッカーをしていた。


だから、有名な遺跡は
なんとしてでも回りたい!という気持ちがあった。


とくにパレンケに行ったときは
ヤシュチランボナンパックには絶対に行きたいと思った。


今でこそ、マイカーでヤチュチランやボナンパックに行かれるらしいが
当時は、ほとんどツアーもない状態。。。


パレンケの町で何日も待って
やっとのことで
両方の遺跡に行くことができた。


当時は悪路だったので
ヤシュチランとボナンパックを両方見て
パレンケの町に日帰りすることなどできず


ボナンパック入口の
ものすごーーーーく小さな村で
テントを張って野宿し、
翌朝2時間ぐらいかけて
ボナンパックまで歩いた。


でも、それだけの価値がある
美しい遺跡だった。
ボナンパックのブルーの壁画は
今でも目に焼き付いている。


そして、そのあと、さらにいろいろ回って
カンクンにたどり着いた。


当時のカンクンも、今と同じでとても値段が高くて
バックパッカーが止まることなどできなかった。

したがって、カンクンの目の前にある島、
イスラムヘーレスに宿泊した。
(今はイスラムヘーレスも結構高級リゾートになっちゃいましたが)


そして、その島で
トゥルムという遺跡の話を聞いたのだった。


このままグアテマラに抜けるなら
絶対にトゥルムに行った方がいいよ。。。と言われ

私は、カンクンからベリーズに行く途中でバスを降り
トゥルムの遺跡に向かったのだった。


その時の感動は、ちょっと言葉では表せない。


それから20年もたって
ここに住もうと思っちゃうぐらいの衝撃だ。


カリブ海の美しさ
遺跡の持つパワー、
やっと帰ってきた~みたいな安心感。。。。


私の第一の心の故郷は
ペルーのクスコなのだが
それに負けずとも劣らない衝撃だった。


あの時の感動が忘れられず
今、私はここ、トゥルムにいる。


メキシコが好きだからでも
マリンスポーツが好きだからでも
ヨガが好きだからでもない。


トゥルムという、この土地が好きだから
ここにいる。


はっきりいって20年前のトゥルムとは
ベツモノで、ものすごい発展を遂げている。
遺跡に訪れる人の数は
信じられないほど多い。


ある統計によれば、
チチェン・イツァを抜いて
訪問者数がメキシコトップになったらしい。


でも、トゥルムのエッセンスは変わらない。


どれだけ人が増えても、
どれだけスーパーができても
たとえセブン・イレブンがあっても。。。


これからトゥルムがどんな変貌を遂げていくのかわからないけれど
一緒に歳をとっていきたいと思う。


一生住む土地をこんな風に決めていいのか?と自問するときもあるけれど

私は、若いときに本当にいっぱい旅行したので
もう、どこにも行かなくてもいいや~というぐらい
どこかで満足してしまっている。


もちろん、憧れのバルセロナにも
ノルウェーにもエジプトにも行ってみたい。
メキシコ国内でもまだ旅行していないところがいっぱい。
インドに行って、本場インドカレーを食べてみたいとも思う。
(私は行ったことがないのにインドカレーフリーク)


でも、若い頃みたいに
どうしても!!!っていう感じではなくて
まあ、チャンスが巡ってきたら
行ってみるかな~という程度。


歳をとってからの旅行も
すごくいいと思う。
経済的に気持ち的にも余裕があるだろうし。



でも、若いときにヒーヒー言いながら
ハチャメチャに回る旅は
やっぱりかけがえのない経験だったな~と思う。



若い人に何か聞かれると
ついつい、旅をススメてしまう。


あんなに時間が自由になって
体が動く時期って
そうないと思うから。。。。







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