2015年5月31日日曜日

シャンバラヒストリー その2♪

シャンバラヒストリーその1につづく



テントロッジからスタートした
シャンバラ・プチ・ホテルは
少しずつテントが増えていき
トイレやシャワーが常設されるようになり・・・と
数年かけて発展しました。


しかし、当然のことながら
公共水道も電気もなかったので
(それは今も同じですが)


夜はたくさんのキャンドルをともして
宿泊客全員がリビングルームに集まって
楽しく過ごしていたそうです。


いわゆる、昔のペンションとか
ユースホステルみたいな感じですね・・・


当時は、ヨーロッパからのお客様が多く
いろんな国の人たちとの会話は
とても刺激的だったそうです。


たくさんの人が本を置いていくので
図書館ができるほどだったそう・・・



しかしオーナーには一つ悩みがありました。
それは、車を持っていないこと。

一番近い町にいくのも約9キロの道のり・・・


車を持っている友人に買い物を頼んだり
木材や水を積んでいるトラックにお願いして
町に連れて行ってもらったりしたそうです。


当然ですが、インターネットもありませんから
ときどき、街に出かけては
トゥルムの町に一つだけあったインターネットカフェで
メールのチェックなどをしていたそうです。


そこには、トゥルムでホテルを開業している人たちの
ほとんどが集まってきたため
いろんな情報交換ができ
それはそれで、とても楽しかったそうです。


・・・・・
・・・・・
・・・・・



そんなある日
配管工事などを手伝ってくれる
大工の棟梁が
訪ねてきたそうです。

彼の車の後ろには
2台の車が続いていました。


棟梁は


「お前には車が必要だろう?
どっちか好きな方選べ。
金ができたときに
払ってくれたらいいから・・・」


と。


思いもかけないプレゼントに
彼は号泣したそうです。



(今でも、その話をすると
オーナーは感極まって泣いてしまいます。)



こうして車を得た彼は
周りの人たちがこれまで彼にしてくれたように
御用聞きをしたり
ドライバーをしたりして
仲間とのきずなを深めると同時に


さらにお客様を得ることができ
その年の終わりには
棟梁にお金を払うことができたのだそうです。


オーナーはいまでも地元の業者を
とても大事にします。


例え、少し高くついたとしても
土地の人にお金を払いたい、
土地の人たちに仕事を発注したい・・・という気持ちが
強いのです。


私から見ると、
要領がわるかったり
とんちんかんだったり
時間を守らなかったり
いろいろいろいろあるのですけれど


オーナーなりの感謝の表し方なのだな・・・と思います。



今でこそ、たくさんの知り合いがいるオーナーですが


閉鎖的なこの土地では
メキシコシティ出身の「都会人」に
冷たくする傾向があります。


いわゆる都会人で、
なおかつ、留学してほとんどメキシコに住んでいなかったオーナーにとって
この土地に溶け込むには
相当な努力が必要だったことでしょう。


シャンバラの歴史には
いろんな思いが詰まっています。



つづく









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